劇的な変化が、次々と起こり始めたのです。まず、見舞いに訪れる後輩たちが「川野さん、顔色がよくなりましたね」と言ってくれるようになりました。鏡を見ると、あれだけドス黒かった顔色が、いつのまにか健康人と変わらない肌色に戻っているではありませんか。それだけではありません。肌全体にハリが戻り、顔も手の平もツヤツヤに光り、肌触りもツルツルになってきたのです。「これは一体:::」確かに、自分、ても、手の平を見るとピカピカに輝いているのがわかりました。こんなことがたつた三カ月で起こるとは、家族も、私自身もまったく予測もしていなかったのです。月日が過ぎていくうちに、顔色はますますよくなり、もうす守八歳になるようには見えないほに変化してきました。顔だけ見ていれば、家族の者よりも元気に見えるかも知れないほです。見舞いに来る後輩たちは、この変化に目を見張り、「もしかしたら、病気が治るかもしれませんね/」とまで言ってくれるようになったのです。---活力、体力が蘇る奇蹟は、それだけではありませんでした。ひかった床ずれの痛みが消え、傷口自体もしばらくしてきれいになくなりました。まったくなかった食欲も復活、少量ですがおいしく食事をすることができるようになりました。そして何よりもうれしいのは、ほんの少しだけですが、腸活 ダイエット のおかげで寝返りなをうてるようになったこと。また、家族の者に半身を起こしてもらっても、それまで五分ともたなかったのが、三分以上座っていられるようになったことです。これは私にとって、「もしかしたらまた、歩けるようになるかもしれない」という希望を蘇らせてくれた大きな進歩なのです。また、体力がついたせいか、言葉も出てくるようになり、いまでは唯一動かせる右手、て受話器を持ち、小一時間は電話で話せるようにもなりました。食物繊維なそのわずかに動く右手で、再び宇が書けるようになったこと、ワープロも何とか打てるようになったことも、物を書き続けてきた私にとって、何ものにも替えがたい喜びです。現在は、医者の七種類の薬も飲み、月に二回の点滴と往診、月一回の検診を受けながら、養生を続けています。私の主治医も、私の体に活力が蘇ってきたことを、本当に驚き、喜んでくれています。本来なら、こんな寝たきり生活を送っていると、内臓疾患が一つ二つ出てきても不思議ではないのですが、たまに血圧が上下するやらいで、あとはまったく問題はありません。

その手術は結局、不可能になってしまったのです。入院直後、私は突然四五度という高熱を出し、血圧が下がりっぱなしという状態が一週間も続きました。そのせいで体力は著しく低下し、年齢も年齢だっただけに「手術は不可能。体力の回復を待ってからにしましょう」ということになったのです。です。「手術しても、100%---寝たきりの生活現代医学では、なす術がないのが私のかかった「難病」の結論でした。病院を退院した私は、それからずっと、自宅で寝たきりの生活を送ることになってしまいました。顔色はドス黒〈変色し、七0キロ近くあった体重は、五0キロそこそこまで減少。食事も昧がなく、まった〈といっていいほ食べられなくなってしまいました。もちろん、歩くことはできないまま。左半身はまった〈動かず、そればかりか、ベッドの上に半身を起こすことも自力ではできなくなってしまいました。時々は、家族の者に起こしてもらい、首にふたつのクッションをあてがって半身を起こしてみるのですが、痛みが激し〈、体力もないので、五分と閉じ姿勢を保つことはできません。それころか一言二言しゃべるだけで、「ったりと疲れてしまうのです。寝たきりの生活ですから、床ずれも当然できてきます。しかし、痛くても寝返りだってうてないのです。こんな、棒のように横たわっている生活が一年、二年と続いていきました。「もう私の人生も終わってしまった」の期待感もなく、勧められるままに「グリーン杜仲」を飲み始めたのでした。聞くと、独特の有効成分があり、ガンやリウマチなの難病にも効果がある、ということでした。希望を失いかけていた私は、さほ何とも言えないやるせない思いに苛まれる日々でした。---「グリーン杜仲」との出会い病院からは、痛み止めや、血の巡りをよくする薬な、合計七種類の薬が処方されていますが、それを飲んでも、痛みはなくなるものの、顔色の改善もなく、体力の改善もなく、何も変わらない日々が続いていました。後輩たちが心配して、アレを飲め、コレを試してみろと、古今東西の薬や民間薬を持ってきてくれるのですが、れを試しても著しい変化は現れず、気丈な私も、希望を失いかけていました。そんなある日。後輩が、漬野さんが開発したという「グリーン杜仲」という健康食品を持参してきました。今からおよそ、二年前のことです。---顔色が戻り、ツヤツヤに飲み始めて、三カ月も過ぎた頃でしょうか。

神奈川県・著述業・川野史朗さん(刊歳)---突然、歩けなくなる私は、長年雑誌や新聞に記事を書き、敏腕記者としてパリパリ働いてきました。七歳を過ぎてからも、東京都内に事務所を構え、後輩を育てながら、まだまだ第一線で仕事をこなしていたものです。しかし、何十年も、昼夜逆転の睡眠や、不規則な食生活、執筆時の無理な姿勢などを自身に強いる生活を送っていたことは確かで、その歪みが突然、思いがけれ刷形で襲ってこようとは思いもしていませんでした。自覚症状はありました。七歳を過ぎた頃から、歩くときに足が痛み、思うように歩けない状態がずっと続いていたのです。しかし、仕事の忙しさにかまけて、病院に行くこともせず、「何とかなるだろう」と放っておいて、痛い足を無理矢理引きずって歩き続けていました。ところが五年ほ経った頃から、今度は腰や肩にも激痛が走るようになってきたのです。思うようにペンも握れなくなってきました。そのうちに今度は、左半身が庫れて、まったく動かないような状態になり、とうとう歩けなくなってしまったのです。---七六歳で「難病」と診断されるさすがに「おかしい」と思った私は、近くの病院に行ったのですが、そこでは原因はまったくわからないということでした。仕方なく、今度は都立の病院に足を運び、外科、神経科、脳神経外科を回って次々と精密検査を受けました。その結果、診断された病名は「難病」。七六歳の時のことです。首の骨の四番、五番のところを通っている靭帯と、腰椎のところにある靭帯の両方が、軟骨のように固まって、一五センチほの塊になっており、それによって、そこを通っている神経や血管が抑え込まれ、血の流れが止まってしまい、歩行できなくなっている、ということでした。左半身が動かなくなったのは、脳の右側から司令を出している神経と血管が、軟骨化ししかし私の体力は、手術が可能になるほ回復することはないままになってしまいました。それEころか、日に日に顔色は悪くなり、やせ細っていくばかりになってしまったの歩けるようになるという保証はないし、というのが、医者の結論でした。やはり中止にしましょう」た靭帯にやはり抑え込まれており、圧迫されたことで機能しなくなったためでした。---体力低下で手術不可能に「手術して、この軟骨を切除すれば歩りるようになりますよ」と医者は親切に説明してくれました。それを聞いて、私もほっとしていたのです

「グリーン杜仲」が、生活習慣病を改善するのにれだけ役立つかも、証明されたわけです。私の心は、雲ひとつない青空にように晴れわたっていました。---集中力強化で論文を完成この膨大な研究資料をべスに論文を書き、大学に学住論文として提出しようと決心したのは、それからす令のことです。私は、やはり「グリーン杜仲」をパリパリ食べながら、この論文をたった一上げることに成功しました。グリーン杜仲には、ゲニポシド酸という独特な成分があり、これは健脳作用を高め、強烈な集中力を促進してくれるのです。ここでもまた、その効果を自ら証明することができました。その後、論文をアメリカに提出、理学博士号を取得し、これによってアメリカと台湾の食品会社からの注文も入り、「グリーン杜仲」はついに日の目を見ることになりました。それから4年。私は今でも、減量に成功した当時の体型をキプし続けています。ただし、もう極端な食事制限はしていません。ピルやブランデーも飲むし、時には油っこい料理も口にします。ただしそんなときは、いつもより多めに「グリーン杜仲」を食ペます。寝る前に二粒飲んで寝ると、翌朝は快調そのもです。それよりも不思議なのは、昔のような大食い的食欲がなくなり、油物もあまり欲しなくなったことです。きっと体質が変化し、それが完全に「生活習慣」となったのでしょう。-「グリーン杜仲」の使命私が抱え込んだ五つの病気は、現代人の抱える病気の典型的なサンプル。習慣病という、現代にはびこっている深刻な病です。0カ月で仕つまり、生活著者が執筆した「グリーン杜f1l1Jの学位論文私のように、肥満をきっかけに初期のうちから手を打てればいいのですが、生活習慣病の多くは自覚症状のないまま進行することがよくあるということです。特に糖尿病などは、自党症状が出たときは合併症という深刻な状態を起こしていることも多いと言います。もちろん、発症してしまってからも、生活習慣を変えていけば、改善も期待できますが、それには強靭な意志力と精神が必要です。そうならない前に未然に病気を防ぐことが、これからの私たちの課題だと思うのです。医療の世界もすでに、「予防医学」を提唱する時代に突入しています。一人一人が自覚を持って、自分の健康は自分で守らなければいけないのです。その手伝いをできるのが、この「グリーン杜仲」だと言えるでしょう。難病を抱えた寝たきり生活に一筋の光が射したのでした。

私は、わざとゆっくり、今度は手羽先を口に入れ、さらにゆっくり噛みしめ、ドロドロになるまでさらに噛んで、落ち着いて飲み下しました。こうして、四分かけた夕食を終えました。満腹感も空腹感も、どちらも感じません。こか物足りないのは確かですが、この程度の空しきなら克服できると感じました。その後、一五分の夜の散歩。帰宅、入浴。一一時のニュースを見ながら、残っていた五粒の「グリーン杜仲」を噛み、白湯で飲み下し、就寝。こうして減量初日を無事、終えることができました。--刀月で一0キロ減量に成功一週間を過ぎた頃には、この食生活にすっかり馴れていました。減量とは、それまで私がやっていた食材研究とまったく対極にある行為です。食ぺる楽しみを捨て、満足感を捨て、それに代わる精神の充実を求める行為なのです。精つまりすると神を充実させる目標なり、サムシングを持っていないと、空しく寂しくなり、空腹感に負けてしまうのだということも痛感しました。生活習慣、ことに「食生活」を変えるということは、想像以上に大変なことなのです。私の精神を充実させてくれた目標は、何よりも醜悪な自分の姿、それを改善したいという強い願望と、「グリーン杜仲」の効果を自身の体で証明したいという情熱でした。そして、この生活のまま正月を越して、一カ月が経ちました。お風呂から上がった自分の体を、鏡に写してみると、三段腹が平らになっている印象があり、実感としても体が締まり、軽くなった気がしたので、思い切って体重計に乗ってみたのです。Eうでしょう/一0キロ減の、六四キロになっていたのです/正月のおせちも、大好きな餅も、箸でつつく程度に抑え、ひたすら「グリーン杜仲」を飲んでいた甲斐があったというものです。血液の循環が悪く、手足がいつも冷えていた体も、その頃にはいつもポカポカと温かい感じになっていました。「グリーン杜仲」が体脂肪を燃やし、細胞が活発に機能するようになったのだと、私は強い確信を得たのでした。---生活習慣病がすべて改善された体型・体調ともに確固とした自信がでてきたのは春頃。さっそく病院に行って検診してもらいました。血圧は上一三O/下八Oの正常値、体脂肪率は一五%で体重は六二キロ、中性脂肪値も尿酸値も血糖値も正常、前立腺肥大による排尿の不便も解消。血圧降下剤の服用も中止になりました。「よくがんばりましたねえ」と主治医にほめられ、まるで小学生のように「はい/」と返事をしてしまうほど、私の喜びは大きいものでした。

朝はトースト半分にコーヒーだけ。毎日三粒の「グリーン杜仲」を携行して仕事に出かけます。一日一時間は歩く、ということも決めましたから、通勤途中もなるべく距離を歩くように心がけました。しかし、研究室に着く頃には、もうお腹はペコペコです。今までなら、そこで何か食ペてしまうところですが、私は代わりに杜仲粒を二1三粒、ゆっくり噛んで飲み下しました。すると、空腹であることは変わらないのに、イライラ感が起こらなくなるのです。畳は絶食です。研究室のスタッフは一斉に畳食に出かけ、中には弁当を広げて食ペている者もいます。いい匂いがプ1ンと漂ってくると、「少しなら食べてもいいかな」という悪魔の噛きが聞こえてきます。口の中にツパもじわっとわいてきます。私はそこでまた、意志を強〈持ち、杜仲を二1三粒、ゆっくり噛みくだいて白湯でごっくんと飲み下しました。いるな」い匂いなも漂ってきましたが、不思議と決心を揺るがすまでにはなりませんでした。するとほなくして、強い空腹感は消え、猛烈だった食欲もおさまっていくのです。「グリーン杜仲のアミノ酸が、満腹中枢を刺激して、食べたいという欲望を弱めてくれて自分、て自分に、そう念を押し、さらに意志を強〈持ちました。午後からは来客、外出、書類の整理、決裁、打ち合わせ・::::と続き、仕事を終えたのは午後七時。普段なら、ここでキュたも杜仲粒を三四粒飲んで、まっす寸帰宅の途に着きました。途中、飲食店から香ばしッと酒をあおり、焼鳥だ唐揚げだとパクつくところですが、ま夕食は、手羽先一本、枝豆ひと盛りとピlルの小瓶だけ。減量初日だし、今までの食生活に比べたら、ほとん何も食ぺていないような状態でしたから、こんな少量のおかず外/は、疾風のごとく食ぺてしまうだろう:::・:自分でそう想像していたのですが、意外や意まずはピルを一口ずつ、確かめるようにゆっくりと飲むことができたのです。前立腺肥大のある私には、本当はアルコールは厳禁ですが、の程度の量なら影響が出るかが経験的にわかっていたので、あえて小瓶一本を自分に許すことにしたのです。-次に、枝豆を噛みしめると、塩味と甘味が食道から胃へ広がりました。「ああ、オレは腹ぺこなんだなあ」このときに初めて、そう実感し、もっと食ぺたい/という気持ちがはっきりと蘇ってきました。しかし、ここで誘惑に負けたら、また大食いに逆戻りしてしまいます。